白い紙がある。私は私の好きな不朽堂の長流筆で、一本線をひいて見る。うまく行かない。
何がうまく行かないのか、それが判らない。本当に自分の線が引けてないからであろう。
何度も繰り返している内に、段々線は太く、墨は濃く、そして紙が破れそうになる。
終いには穴が開いてしまった。私はやおら紙を持ち上げ、その穴から片眼を当てて覗いて見た。
そこにありのままの自然があった。柳は緑に花は紅で、少しも変わったことはなかった。私は考える。
私は私の線を初めて引いたのだ。私は画はこの筆で突き破った穴から生まれるのだと思った。
私は嬉しかった。欣求浄土の心境で私はしゃにむに筆を走らせた。色々な画が出来た。
その画がいいか悪いかは私には判らない。しかし画とはその人の眼と心で出来るものである。
間違いなくこの線は私の線だ。そこで展覧会となった。
元来、私は多くの人に私の絵を見て貰うことを、あまり好まないので、一度も個展を開いたことがない。
絵を見るということは、その人の心にふれることである。絵は容易に描ける。しかし、心を描くことは難しい。
私は何時も画を、山を仰いで山に遊ばすという心で描いている。
穴から覗いた自然が私の絵筆を何処まで引張ってくれるか、
今も私は長流筆を持って、ニタニタしながら白い紙にむかっているのである。
和田邦坊

和田邦坊(1899-1993)。本名、和田邦夫。
香川県琴平町出身。明治32年8月24日生まれ。
大正15年東京日日新聞社にはいり時事漫画をかく。
ユーモア小説「うちの女房にゃヒゲがある」を執筆して話題をよぶ。
漫画家、新聞記者、小説家、画家、デザイナー、商業プランナーなど
様々な顔を持ち、昭和13年帰郷後は,画家として活躍。
40年讃岐民芸館の初代館長になる。
香川県の工芸品や民芸品のデザインを多数手がけており、
巴堂の包装紙などもその作品の一つ。

巴堂商品ラベル
巴堂ぶどう餅パッケージ
巴堂パイ饅頭パッケージ
巴堂名菓武道包装紙
巴堂馬の子饅頭包装紙
巴堂武道最中包装紙
巴堂とら丸パイ
巴堂名菓武道
巴堂馬の子饅頭
巴堂武道最中
巴堂長崎カステラ
巴堂長崎カステラ
巴堂長崎カステラ